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明治・昭和時代のマグロ漁は、大謀網や一本釣りであった。昭和30年(1955)代になって漁船の大型化や漁具の進歩と相まって豊漁を続け、その独特な漁法はマスコミ各社で取り上げられたのをはじめ、作家吉村昭の小説「魚影の群れ」で全国的に脚光を浴びた。
市場では大間のマグロといえば超一級品の名を受け、高値で取引されるほどの活況を見せていたが、昭和50年前後を境に魚影が薄くなり、つい最近まで大間沖からの水揚げはほとんどなかった。その原因については、海流や水温の変化など諸説がいわれているが。漁師の一部には青函トンネル工事が原因ではないのかと指摘する者もいたが、県の調査では「影響はない」とされ、最近になっての好漁と併せ、生態系にはまだ不明な点が多い。
魚影が消えておよそ10年ぶりに「マグロが来た!」と浜が活気づいたのが平成5年(1993)10月のことである。翌平成6年には440キログラムの超大物が捕れた。以来、毎年100〜300キログラムクラスのマグロが水揚げされるようになり、平成7年には22トン・1億7650万円、平成8年は12月末までで前年を大きく上回り、170トン・4億7800万円に上っている。このうち1本30キロ以上のもので615本、100キロを超える大物が213本水揚げされた。
大間のマグロは、大間崎沖1〜3キロメートルで釣れる近海物だけに、東京築地市場でも値が高く、外国産の冷凍マグロが1キロ当たり7000円前後なのに対し、軽く数万円の値がつき、高値のため大物はほとんど大市場へ直送され、「地元でおいしいマグロが捕れるのになかなか口に入らない」と嘆く声もある。
マグロ漁のエサにはイカやサンマ、トビウオなどが多く使われているが、中にはエサにするトビウオを買い付けに富山県まで出向く漁師もいるという。
マグロ漁が始まって以来、漁の技術にもしだいに工夫が重ねられ、エサにするトビウオのひれに針金を付けてトビウオが生きているように見せる仕掛けなどが考案されるなど、こうした漁法は大物を釣り上げるのに数時間にわたり格闘するこものある命懸けのマグロ漁を続けるうちに工夫されてきたものであろう。
特筆すべきは、彼らが惜しげもなく、この漁法を北は北海道から南は潮岬までの漁民に指導し、沖縄県石垣島からも数人の青年が当町に来て学んだことである。
こうした命懸けにも近い大間のマグロ漁に生きる漁師を題材に書かれた前出の小説「魚影の群れ」は、相米慎二監督によって映画化された。主演の故夏目雅子やマグロ漁師に扮した緒形拳ら全スタッフが当町に泊り込んで、昭和58年6月から9月までロケが行われ話題となったものである。
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